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ミハエル・シューマッハ特集

ミハエル・シューマッハ Michael Schumacher
ミハエル・シューマッハ 国籍/出身地 ドイツ/フルト・ヘルム-ルハイム
生年月日 1969年1月3日(歳)
F1デビュー 1991年ベルギーGP
F1初優勝 1992年ベルギーGP
出走回数 308回
表彰台 155回
優勝回数 91回
生涯獲得ポイント 1566ポイント
F1チャンピオン 7回
最高位 1位
ポールポジション 68回
最高グリッド 1位
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戦績
チーム 順位 参戦 最高位 優勝 表彰台 FL BQ PP
ジョーダン
ベネトン
12 6 5 0 0 0 5 0
ベネトン 3 16 1 1 8 2 2 0
ベネトン 4 16 1 1 9 1 2 0
ベネトン 1 14 1 8 10 8 1 6
ベネトン 1 17 1 9 11 8 1 4
フェラーリ 3 16 1 3 8 2 1 3
フェラーリ 26 17 1 5 8 3 1 3
フェラーリ 2 16 1 6 11 6 1 3
フェラーリ 5 10 1 2 6 5 1 3
フェラーリ 1 17 1 9 12 2 1 9
フェラーリ 1 17 1 9 14 3 1 11
フェラーリ 1 17 1 11 17 7 1 7
フェラーリ 1 16 1 6 8 5 1 5
フェラーリ 1 18 1 13 15 9 1 8
フェラーリ 3 19 1 1 5 3 1 1
フェラーリ 2 18 1 7 12 7 1 4
メルセデスAMG 9 19 4 0 0 0 5 0
メルセデスAMG 8 19 4 0 0 0 5 0
メルセデスAMG 13 20 3 0 1 1 1 0
※FL=ファステストラップ回数 BQ=予選最高位 PP=ポールポジション回数
※1997年最終戦での接触行為によりランキングから除外
※2012年予選で1番手だったが、前戦のペナルティーによりグリッドは6番手
プロフィール
1984-87 カートチャンピオン時代
幼少期に父親から贈られたカートで遊ぶことが多かったシューマッハ。両親やまわりの人からの援助でカートを続けることができ、1984年、1985年にドイツ・ジュニア・カートチャンピオンを獲得、1987年にドイツ・ヨーロッパ・カートチャンピオンを手にする。
1990 F3チャンピオン
1990年ドイツF3チャンピオンを獲得、1991年にF3000へステップアップ。
1991年8月25日、スパ・フランコルシャンで開催されたベルギーGPでF1デビュー。当時、ジョーダンに在籍していたドライバーの事件がきっかけで、F1シートを手にしたシューマッハ。予選ではいきなり7位に入るが、決勝は0周リタイア。しかし、このときの走りが印象的だったのか、次のイタリアGPからベネトンへ移籍し、チームメートを上回る5位でフィニッシュしている。
1992年、F1デビューの地で、F1初優勝を果たし、年間3位で終える。
1993年、第14戦ポルトガルGPで優勝。この年も1勝のみ、年間4位。
1994年、開幕から3連勝したシューマッハ。シーズン途中2レースの出場停止や失格があったものの8勝し、初のドライバーズ・タイトルを手にする。
1995年、年間17戦中9戦で優勝し、ドライバーズ・タイトル2連覇を達成する。
1996年、チャンピオンを手土産に名門チームフェラーリへと移籍。低迷するフェラーリを再建しチャンピオンを獲得するのが使命。しかし、チャンピオンといえども、すぐにはタイトルに手が届かなかった。しかし、チームのホームグランプリ、負けられない一戦のイタリアGPで優勝し、フェラーリに1988年以来の勝利をもたらした。
1997年、ジャック・ビルヌーブとシューマッハは、最終戦までタイトル争いを繰り広げる。最終戦のヨーロッパGPで、シューマッハを抜こうとしたビルヌーブと接触。シューマッハはリタイアし、ビルヌーブが3位に入った。FIAはシューマッハが故意にぶつけたと判断、ドライバーズ・ランキングをはく奪されてしまう。
1998年、フェラーリへ移籍後初のタイトル獲得が期待されたこの年。ライバルのミカ・ハッキネン(当時マクラーレン)と優勝争いを繰り広げる。16戦中6勝をあげたシューマッハは、2位で終える。
1999年、第8戦イギリスGPでブレーキの破損が原因でタイヤバリアに激突。右足を骨折したため7レースを欠場する。復帰戦ではポールポジションを獲得、年間5位で終えるものの、フェラーリにとって1983年以来のコンストラクターズ・チャンピオン獲得に貢献する。
2000年、フェラーリへ移籍して5年目。開幕から3連勝し、F1-2000の強さ見せつける。シーズン中盤にマクラーレン勢の追い上げにあうが、終盤の4戦を連勝。自身3度目、フェラーリにとっては1979年以来のドライバーズ・タイトルに輝く。
2001年、17戦中9勝したシューマッハは、自身4度目のタイトルを手にする。
2002年、序盤から勝利数を重ねていったシューマッハは、第10戦で自身5度目のタイトルを決めている。この年、フェラーリは17戦中15勝、シューマッハは11勝。
2003年、開幕から優勝することができなかったことが、シーズン終盤までひびく。キミ・ライコネン(当時マクラーレン)とタイトル争いとなり、最終戦の日本GPで、ようやく自身6度目のチャンピオンを手にした。
2004年、開幕から5連勝したシューマッハ。年間18戦中13勝をマークし、5年連続ドライバーズ・チャンピオンに輝く。通算7回目。
2005年、レギュレーションの変更になかなか対応できなかったシューマッハ。ミシュラン・タイヤを使用するチームがボイコットしたアメリカGPが唯一の優勝となる。タイトル争いもできず、年間3位で終える。
2006年、シューマッハは第4戦まで優勝できなかったものの、フェルナンド・アロンソ(当時ルノー)とタイトル奪還のため、争う。第15戦イタリアGPを優勝したシューマッハは、FIA公式記者会見の席上で、2006年末での引退を自ら発表。タイトル争いが続く中、17戦日本GPではエンジンブローで無念のリタイア、最終戦もトラブルや不運で優勝できず4位に終わる。結局年間2位でF1を去っていく。
2007-2008 フェラーリのアドバイザー時代
2007年、2008年はフェラーリのアドバイザーとして、テストをしたり、サーキットに足を運んだりしている。
2009 バイク事故でF1復帰を断念
2009年、第10戦ハンガリーGP予選でフェラーリのフェリペ・マッサが頭部にケガを負い、マッサがF1レースに復帰するまでシューマッハが代役としてグランプリに参戦する予定だったが、自身の首のケガが完治していなかったため、復帰を断念。
2010年、メルセデスGPからF1復帰したが、チームメートに負け、期待されるほどの結果を出せなかった。シーズン中、引退がささやかれるも本人はメルセデスGPとは複数年契約で続投を主張している。72ポイントで9位。
2011年、復帰2年目のシューマッハは時折、引退前の速さを見せる場面も多くなり、表彰台獲得の期待がかかる。しかし、2011年シーズンも表彰台に立つことができなかった。最高位はカナダGPの4位。ランキングは76ポイント獲得で8位。
2012年、第8戦ヨーロッパGPで復帰後初の表彰台に立ったが、メルセデスAMGがルイス・ハミルトンと2013年の契約を締結。シューマッハは2012年でF1引退を決意した。
2013 休暇中にスキー転倒事故
2013年12月29日、家族や友人とフランスで休暇中だったシューマッハが、スキーで事故。頭を岩にぶつけ、緊急手術が行われ、こん睡状態となっている。
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