ウィリアムズの元チーム代表アダム・パーが、自身のF1離脱の陰にはF1の最高権威バーニー・エクレストンがいたと明言した。
F1パドックでパーの存在感が出始めた矢先の2012年初頭に、パーは突如ウィリアムズのチーム代表の座を退いた。
ウィリアムズはF1の主催側とチームが結ぶコンコルド協定合意に向けた交渉が進んでいなかったものの、パーの突然の辞職とコンコルド協定締結が同時期に行われたため、皮肉を言う者もいた。
パーが辞職したとき、『Telegraph(テレグラフ)』はパーが「権力の犠牲になった」と報じ、最近ではパーがエクレストンに対して法的措置をとれると指摘していた。
しかし、辞職に際してウィリアムズは「家族と過ごす時間が欲しくて」パーが辞職したと発表していた。
パーは自著「戦いの芸術:F1での5年間」にこうつづっている。「あの週に、私は辞職した。真偽のほどはわからないが、私がウィリアムズを率いている限りコンコルド協定の提示をしないとの考えをエクレストンがもっていると信じていたからだ」
「あの状況では、チームができるだけいい条件でエクレストンと協定に合意するために私が退くしかなかった。コンコルド協定が提示されたのは、私の辞職が発表されたまさにその日だった」