フェラーリとブラウンGP※で走った元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロは、54歳になってもレースへの意欲を失っていない。
※ブラウンGP:ホンダのF1チームを引き継ぎ、2009年に参戦したF1チーム。ルーベンス・バリチェロとジェンソン・バトンが所属し、同年のコンストラクターズ選手権を制した。
ル・マンで国際カート競技に復帰し、KZ2 Masters(KZ2マスターズ)決勝を15位で終えた。バリチェロは、イタリアの老舗カートメーカーであるBirelart(ビレルアート)からFIAカート大会に出場した。この水準の国際大会への出場は、およそ10年ぶりとなる。
バリチェロは、パドックでフランス紙『Le Maine Libre(ル・メーヌ・リブル)』に「僕を突き動かしているのは、スピードとガソリンの匂いです」と語った。
バリチェロは今回、ビレルアートと共同で開発したレーシングカートブランド「Barrichello Kart(バリチェロ・カート)」のカートで、ル・マンの大会に参戦した。
イタリアの通信社『ANSA(アンサ)』によると、バリチェロは大会前に「ビレルアートのカートに自分の名前が付いているのを見られて、本当にうれしいです。この仕事とプロジェクトをとても誇りに思います」と話した。
バリチェロはレースへの情熱を保つ一方、ミハエル・シューマッハと過ごしたフェラーリ時代も振り返った。シューマッハについて尋ねられると、イタリア紙『La Gazzetta dello Sport(ガゼッタ・デッロ・スポルト)』に「彼はF1にとって非常に重要な存在です。私たちは毎日、そのことを思い出すべきです」と語った。
「赤いマシンで過ごした6年間は素晴らしかったです。当時、空力がうまく機能しなくても、誰かを指さして責めることはありませんでした。私たちは一緒に負け、一緒に勝ちました」
バリチェロは、フェラーリの成功をシューマッハだけが形作ったという見方も否定した。
「シューマッハが勝利を収め、バリチェロは何も理解していなかったと言う人がいますが、僕もマシンの開発に携わっていました。ミハエルが『ルーベンスが決める』と言うのを何度も見ました」
バリチェロはF1引退後の2018年に脳卒中を経験したが、前向きな姿勢を保っている。
「ブラジルでは、猫のように7つの命を持つ人がいると言います」と笑った。
「僕は3つか4つを失いました。2018年に脳卒中になり、あの事故もありました」と語り、1994年のイモラでのクラッシュにも触れた。
「まだここにいられることを神に感謝しています。」
※1994年イモラの事故:F1サンマリノGPの金曜日の予選中、バリチェロのマシンが時速約225kmで防護フェンスに衝突した事故。バリチェロは一時意識を失ったが、一命を取り留めた。
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